2006.04.18

桜を通り抜けた♪

ブログの使い方って人それぞれですね。大まかにいうと「起こった事」を書く人と「思った事」を書く人とに分類されるのではないでしょうか。私は「思った事」を書く派かな。でも、今日はその日の事を書いてみる。

八重桜造幣局の桜の通り抜けに行きました。これで4度目か5度目かな。真っ昼間に行くのは初めてでお年寄りばかりでした。何故か中国語のアナウンスが大声で流れる中の散策となりましたが、お昼間という事で暑くて上着も抱えて歩く始末です。造幣局の桜は八重桜がメインでソメイヨシノより咲く時期が遅くて調度見頃。それに加えて4月上旬が寒かったためソメイヨシノもまだ散らずに残っていていい感じでした。カメラを持っていたのですが、残念ながら残バッテリーがなくて撮影失敗…うーん、車に電池があったのに…残念です。別の時に撮った物を載せておきます。

大抵は夕方に行く事が多く、そうなるとサラリーマンやOLが多くなりますが、昼間は先に言ったように年寄りが多く、皆さん背が低いので上からの圧迫感は少ないです。まぁたまにサラリーマン風の人もいますが、同僚のおっさん同士っていうのが多かったですね…うん、手は繋いでなかった(笑) 2回目のデートにはもってこいのコースですよね、これ。

誰と行ったとか野暮な事は聞かないで♪

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2006.04.14

自治会の思い出[1/4]

現在、大学院に働きながら通っていますがいろいろな経緯から院生会の分野(クラス)代表をしています。働きながらと言っても私の場合はサラリーマンじゃないのできつくはなく、今は社内のプロジェクトで厄介な2案件を終えれば出来るだけ注力しようと思っています。院生会というのは学生の自治組織で元々は自治会と言っていましたが、自治会というと闘争とかアジるとかあまりいいイメージがないので、院生会って名前の方がいいねってことで暫定的ですがそうなっています。

私は根本的にめんどくさがりで、こういう事もやりたがりではないので、大学院に入る前に私がこういう事をするなんて想像していませんでした。現に昨年の11月くらいまでそう言う事をするのが好きな人達に任せていました。それがどうして私がやる事になったのかはここでは述べませんが…

ここでの思い出は学生自治会の事です…そう、大学時代のこと…今を振り返る事14年前の事です。物理学科を目指していて、それならば国立の理系という事で成績も良くなかったため1浪してやっと琉球大学理学部物理学科に滑り込み、青い海青い空の沖縄で大学生活をスタートさせました。そこでのんびり生協前を歩いていたら拡声器を持って大きな看板の前で演説をしている数名がいました。その人たちが学生自治会のメンバーだったのですが、当時湾岸戦争で自衛隊の海外派兵問題などが世論をにぎわせていた頃で、彼らはすさんだ感じの出で立ちで派兵に対して反対だという主張を展開していました。尚かつ、「派兵を阻止するぞぉー!エイ、エイ、オォー!」なんてやっていて、休み時間だった事もあって、いわゆる学生運動というのが未だにあるんだなぁって知ってある種の感動を覚えました。阪大が実家の近くで今でもそこに住んでいますが、阪大の校内も歩いた事があったし、センターもそこで受けたのですがそういう看板もなければ、そういう運動もやっている気配もなかったのでそういう物はテレビで懐かしの映像でしか観られないものだと思っていましたから…。

あの手の学生自治会が強い学校とそうでない所と分かれています。で、どれも同じように見えますがいくつかの団体に分かれます。日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)、日本民主青年同盟(民青:共産系)、などがあります。うーん、プロレタリア何とかって言う団体もあるって聞いてたけど調べても出てこないな…。ちなみに市大は中核派のアジトになっているみたいなんですが本当のところはどうなんでしょうか…???

まぁ関心のない人から見ればどれも同じようなもんで私自身もさっぱり違いはわかりません。しかしこれがいろいろあって、お互いが反目し合っています。で、当時私の大学では革マル派が牛耳っていて、細々と民青が活動しているという状態でした。あとは宗教系が単発で出没するという感じで、たまに私のアパートにも来ました。東大や京大だと様々な組織があるみたいですが、まぁ田舎だとこれくらいでしょうか。ただ、琉球大学は沖縄という特殊な立地上、革マル派としてはそれなりに重視していたようで、噂ですが京大を退学した人が琉球大学を受けて入ったとか聞いています。ああいう活動をする人は大体が田舎の出身者が多いみたいです。で、休学や留年を繰り返して卒業することなく、何で食っているのかわからないですがずぅーっと居座っています。卒業してだいぶ経っていますが、たまに大学に行くと未だに見た顔がありますから…(;^_^A

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自治会の思い出[2/4]

で、「あーこんな化石のような人達がまだいるんやなぁ」と感慨の目で見ていると、しばらくして「さっき演説聞いていましたよね。」と話しかけてきて、どう思うかなどをいろいろ質問してきて勧誘活動をしてきました。もちろん勧誘活動だという事はわかっていたのですが、それよりも「今時こんな事をしている人達って、どんな人達?」っていう疑問が沸いてきて加入というわけでもないのですが、いろいろ彼らが主催する催し物を見たり聞きに行ったりしました。その中で勉強会とか言って「社会科学研究部」とかよくは覚えていないけど、そんなところに出入りして戦争がどんなのだったかとかを本を読んで話したりしていました。当時、同じ物理学科の友達も来ていたり、物理学科の先輩も来ていた人がいた。物理学科ってそういうのが好きなんかな?

実際の所、内容の詳細についてはあんまり覚えていないのですが、読谷の集会所に行って地元の人に戦争の事や現状のアメリカ軍に対する考えを聞きに行ったりした記憶があります。で、私の中では最大の思い出が東京までデモに行った事。これを聞いたら知り合い引いちゃうかなぁ…(笑) 自治会の役員が東京にデモに行くという話をしていて、「ぁ、それ行きたいなぁ。」なんて口走ると「ぇ、行く?」と聞いてきて「はい」っていうと、いつの間にか東京までの飛行機のチケットが用意されていた。「これってどこからお金が出ているんですか?」って聞くと「協力者がいる」とか言っていた。まぁあと入学の際に何も知らない新入生に「自治会費」という名目でお金をいくらか徴収するんだけど、それも彼らの活動資金になっている。私は父が払う必要がないと言っていたので払わなかったけど…まぁ自治会っていうのがああいうのだって知っていたら払わないだろうけど、親が大学に行っていないとかだと絶対に払わないといけないものだって思うでしょうね。

沖縄のデモには参加する気がなかったけど、東京なんて子供の頃に一回行ったきりだし、まぁいいか!ってノリで(笑) 帽子を深くかぶってサングラスかけて、目から下はタオル巻いてと言う…いかにも!って出で立ちで、上野から日比谷を歩いたような気がします。「アンポ!反対!派兵!反対!」って感じで。もちろん届け出しているデモではあるのですが警察の厳重な監視というか、もう一触即発状態で、どうやら何人か逮捕者が出て、一緒に行った物理学科の先輩も眼鏡を壊されたり大変でした。もちろんそれは革マル派がやっていたわけで、そういうことで革マル派が強い学校同士が仲がいいんだなぁってわかったわけです。もしここで私も逮捕されていたら革マル派幹部の道を歩むしかなかったのかも知れません(笑)

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自治会の思い出[3/4]

こう書いていくと、「…と、自治会にどっぷりつかっていきました…」な展開になるように思いますが、私自身は段々距離を置こうと考えるようになりました。まぁ元々どっぷりやるつもりはなかったのですが、それでも感化されれば続ける事も可能性としてあったんでしょう…。沖縄という土地柄、米軍基地の問題は大きく重要な問題ですが、革マル派は即時撤退を声を挙げて反対していました。私も基地はない方がいいと思っていますが、現実に大学の友達でもそれに依存して生きている人はたくさんいます。そこから考えると段階的撤退が一番現実的なんだろうと今でも思っています。それだけではなくそういう色々な話をしても、こちらの意見には一切同意することなく向こうの意見や考え方を押しつけてきて、その意図を聞いても実はその人も上から刷り込まれた事で何の説得力もないと気づいたのが大きかったです。こちらが意見を言うと執拗に「どうして?」と繰り返す彼らお得意の論法でやってきました。そこからもわかるように、幅広い意見を聞くという事は一切なく自分たち大本営の考え方を天下り的に下に下ろすというのが実際の自治会の本性でした。

しかし単に受験によって専攻したい学科に来て、自衛隊がどうとか米軍がどうとか憲法がどうとか考え方は人それぞれです。それを学生の意見として強引に押し出すやり方は、彼ら自身が否定している少数意見の抹殺でした。よく彼らは大学当局や警察から不当な弾圧を受けていると事あるごとに言っていて、自分たちが勝手に立てた看板を大学側が撤去しても不当な弾圧だと言っていました。ある日、B4一面くらいの自治会批判のビラを作る事にしました。内容は先ほど述べたような、学生の統一した政治的思想なんて存在しないのに、いかにも自分たちが学生の代表した意見であるかのように振る舞い、結局は自分たちが批判している少数意見の抹殺を自分たちが率先して行っているという事。で、夜中に配ったんだけど、これが結構大学の学科の友達が手伝ってくれた。英語などの教養の授業の時に自治会が定期的に来て学生を缶詰にしてアジルという行為をしていて、その当時はそれ自体もそうだけど内容に対しても私以外にも反感を持っている人が多くいたし、まぁ大学生にもなればそれが矛盾だらけってすぐわかるわけで、たまに内容に対して私以外の人もやり合うようになっていた。まぁ自治会の人は例によって「どうして?どうして?」の連発だったけど…それが火に油って事もありましたが…。で、そのビラを夜中にコンビニでコピーして、友達と教養部の部屋に一部屋2,3枚って感じで配っていきました。

ところが次の朝になると、ことごとく回収されていました。そう、自治会の人が気づいて回収していったんですね。まぁ中には回収漏れなどもあったみたいで、あとからそういう話をした時「あれ、あなたがやったの!?」って言われたので一部の人は読んだんだと思います。これが転機になって私は晴れて反自治会?ってことで彼らのブラックリストに載ったと思われます(笑) 自分たちが立てた反政府や大学非難の看板を撤去されて抗議行動をするのに、自分たちの批判をされてその当局と同じ事をしているんならね…。あぁ、この人たちがもし国の指導者になったらソビエトみたいになるんだなって確信しました。

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自治会の思い出[4/4]

で、そのうち…というか重なっていた時期もあるのですが、オケのサークルの方に段々とのめり込むようになってきました。当初、相変わらず英語の時間などでアジりに来た時に彼らが配っていた抗議文(?)を目の前で破いたら、自治会の女の子が泣き出したな。まぁ今考えればよく生きていたなぁって思うけど…(笑) こちらとしてはあなた達も言論弾圧をしているという抗議だったわけですが、彼らには何も伝わっていなかったでしょう。サークル棟前や生協前で配るビラも私には当然くれなくなりましたね。「takacello先輩にはどうしてチラシ渡してこないんですか?」ってよく後輩に聞かれたものです。「ぇ、ぁ、ブラックリストに載ってるねん」って説明していました。後輩たちはその行動と説明を聞いてどう思ったのでしょうかね。

あとは、3年次なってから当時会長になったM方くんっていうのがいたんですが、会長になって調子に乗ったのか私に話しかけてきて問答をふっかけてきたので、半泣きになるくらいこてんぱんに論破してやりました。またお話しできる機会があってもいいかなと思ったのですが、何故かそれからは話しかけてくれませんでした。

あと、びっくりしたのが、吹奏楽部が自衛隊と合同演奏をするという企画があったのですが、琉球大学だけでなく県内の他の大学からもかなりの人数応援を呼んでやめさせるように説得というか缶詰にしたということがあって、これもオケの友達と自治会としてそういう不当な弾圧をするなと抗議に行ったけど、吹奏楽部も折れて結局合同演奏は取りやめになった事がありました。他にも自治会に全然関係やゆかりがない学生が会長に立候補したらしく、それも彼らが家まで押しかけて缶詰にして立候補を取りやめにさせたとかあったけど、ほんと怖いよなぁって思った。学生のため?ふざけるなって。何でも県内の合同の反基地の総決起集会があった時、琉大の学生自治会は延々とシュプレキコールしていて、大会主催者に静かにしろとか言われていたな。みんなそれで集まってるんだからわかってるねんよ、バカ。

だから、大学院の院生会を「自治会」なんていうと、いつもこの事が走馬燈のように流れていく(笑) だから名称は「院生会」にしようね!…しかし、この文章で革マル派から狙われたりするのかな?

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2006.04.01

美女とラブラブのデート♪

伊東美咲とデートしました。やはりむっちゃ可愛い♪ 腕を組んで街中を二人で風を切っていました。過ぎゆく人が皆振り返ります。

えーっと、もちろん嘘です。これを書いたのは3/30日ですが、4/1のエイプリルフールにひっかけて、RSSフィールドに対してどの様に表示されるのかの実験も兼ねています。

今までの経験上、この手のタイトルにすると引きが強いというかアクセス増えますね(笑)

-追記-
Wordpressの制限で将来の事は投稿できないみたいで、プラグインを探したら出来るようになりました。しかし、RSSには反映されないみたい。絶対不可能ってわけでもないんだと思うけど…。Webを徘徊して英語のサイトも含めて探したのですが見つかりませんでした(>_< )
3/30、17:00

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