2006.02.21

この半年で

三度も葬式に出た。数年前に曾祖母が104歳で大往生してから久しぶりでした。曾祖母の時は意外と長生きするのも考え物だなぁって感じるほど寂しい物でした。何でも99歳で足を骨折して手術して回復して歩いていたという驚異的な人物でしたが、前にあったのはいつだろう…小学校の高学年の時だったはずだ。それは曾祖母の長生きのお祝いだったと思う。

で、半年前はその娘に当たる父方の祖母だった。曾祖母があまりにも長生きだったので親より先に行くかもとか弱音を吐いていたようだが。祖母にも前はいつ会ったのかよくわからない。あー、数年前に病院から退院する時に病院から家まで送ったかな。それが最期だったなぁ。ここら辺の理由はいろいろあるのだが、母と骨肉の嫁姑戦争をしていたと言う事と父が会いに行かないという事もあった。その昔は正月や盆は必ず行っていたが、私が大学を卒業してからは数回行ったくらいだったと思う。人は衰えてくるものだから若い奴をいじめてもいい事はないなぁという事だ。持って死ねるものとそうでない物がある。私の周りでも自慢好きの人も多いが自慢ばかりしていてもそれは何の評価にもならない。

数週間前にお坊さんである幼稚園の園長が亡くなった。何それ?と感じるかも知れないが、その祖母の従兄弟で曾祖母の甥である。私は年少と年中の2年間をその幼稚園で過ごした。当時、曾祖母が何かの用事で来ていた事があり会った事がある。偶然、グラウンドで遊んでいた時に見つけて「ひいばぁちゃん!」なんて言いながら駆け寄ったように思うが、よくよく何で曾祖母が職員室の縁側でくつろいでいたかは当時はわからなかった(笑) まぁ、あとやたら先生の番頭さんみたいな人が私が園長先生の親戚という事で構いたがっていたな。その当時に父方の祖父が亡くなり、法事の度に園長先生が来るので段々ではあるが関係を理解するようになった。祖母が亡くなった時はその園長先生も病床にあり、その息子や弟であるお坊さんに厄介になっていた。実際の所やっと最近ルーツが理解できてきたのではあるが…。折角だったし、弟さんも音楽が好きだという事と可愛い幼稚園の先生で彼氏募集の子でもいないかと思い遊びに行った(笑) その時は父方の父方の曾祖父の話などを聞かされた。要は檀家でその関係で祖父と祖母は見合いをしたのであろう。まぁそういう事もあったので、園長先生の訃報を聞いた時は仕事の合間を縫ってでも駆けつけた。まぁその園長先生とも曾祖母のお祝いの時にあったきりかな…。

この日は入江伸という塾経営者の通夜に行った。彼の状態が良くない事は数日前から聞いていた。調べればわかる事なので彼の経歴については述べないが、私が彼に会ったのは小学校の卒業を控えた正月だった。塾OBの新年会で鍋パーティ(もちろん、美々卯の「うどんすき[登録商標]」)だったが、その席で「悪ガキそうやなぁ!」と言われたのは今でも印象に残っている。その数年後に脳梗塞で倒れられて塾を閉鎖し療養生活を送っておられた。少し説明すると私の母が塾のOBであり1期生であった縁がある。昔の話を聞くと今でもそれがこうなったのか!?と同じ物の話をしているとは信じられない。当時は模擬テスト屋で塾ではなく、母に「うちに遊びにおいで、勉強見たるから」と今なら変質者とも勘違いされるようなノリで、同級生と通ったらしい。祖母が設備のなさから黒板を贈ったと聞いている。基本的には母のアッシーだったわけだが、こういう人に少しでも出会えて良かったと思っているし、塾には結局通えなかったが今ここにいるのはなにがしか影響があるはずだと思う。

まぁ別に首相から直筆の弔電が欲しいわけでもなく、医学部に行きたかったわけでもないが、それなりの事をした人はやっぱりすごいなぁと思う。私がいったいこれから何が出来るのかなぁっと自分に問いかけている。

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