先日からmixiの画面に「mixiへのご意見をお聞かせください」と表示されて、そちらを見ると「ユーザーファーストなmixiを目指して 皆さまのご意見をお聞かせください」と出ている。
これはある意味mixiが「今までユーザーファーストではなかった」と表明していることになる。確かにそう感じるし、mixiがオワコン(終わったコンテンツ)と言われて久しい。身売りなどの噂も出てきたりして、ここに来て経営者もこのままではまずいと感じたのだろう。ユーザーファーストでないと圧倒的優位だったコンテンツもオワコンと言われるまでになると言うことを身を挺して示してくれた好例と感じている。
もう少し個々の事象についてFacebook(以下FB)と比較もしながら考えていきたい。
足跡機能について
足跡機能はmixiの最大の売りであったが、この機能を復活させるのが今回の目玉らしい。2011年の6月にその機能を削除してから1年以上経っており、実際に復活するのも来年の1月らしい。現状ではマイミクとコミュニティ経由の足跡が週間単位でわかる状態である。この改変に関しては「mixi 足あと機能改悪反対!」というmixi内でのコミュニティも立ち上がり当初は私も参加していた。(参考:日本経済新聞記事)
これに関してはいろいろな意見があるとは思う。「なぜmixiがそういう措置を取ったのかわからない」という意見も見受けられる。そこら辺はmixiの意向は正確には知らないが、足跡が付くのを嫌がって知らない領域に立ち入らないユーザーが増えていたからではないかと想像している。足跡から自由になりいろいろなユーザーに訪問出来て交流が増えると思ったのかも知れない。
しかし日本人の特性で(こうまとめてしまうのもどうかと思うが)、自分が何を見たかより、自分が誰に見られたかを気にすることを考えると中々難しい。FBは足跡機能はないがそれは常に自分から何かを発信しないと独りぼっち感を醸し出してくれるが、足跡機能は例え大した発信をしてなくても自分がよそを見たときにその足跡返しがあったりして、オーバーな表現かも知れないが「自分は生きていて、人として存在を認識してもらっている。」という感覚になる。また、コミュニティ機能やNewsから自分が興味持った人に足跡を見てマイミクを申し込んだりと言うこともあった。私自身も交流のないmixiのみの関係の人とのマイミクは暫くしたら切っていっているしマイミクコレクターでもないが、それでも足跡機能がなければ現在のマイミクの数にはならなかったと思う。
足跡機能は固定された交流ではなく確実にユーザーシャッフル機能を果たしていたと思う。(なお、ここで言うユーザーシャッフルとは今まで関わりのなかった人と新たに交流するという意味合いで使用している。) 足跡機能は確実にメリットとデメリットがあり、mixiはそのデメリットを重視して削除したのであろうし、FBは足跡機能がなくてもユーザー数を拡大させている。あれだけユーザーの反対に遭いながらも強行するほどの重要な決定をいとも簡単に…それもこんな中途半端な時期に撤回していいのだろうかと思う。反対していたユーザーの多くもこの撤回を100%喜べるという人は少ないと思う。一言で言うなら「今更感満載!」
SNSたり得なかったのでは?
「mixiがよく使われている」と言う状態を考えたときに、ユーザー数とユーザーごとの使用時間や交流度合い(例えばメッセージのやり取りやコミュニティへの書き込み、マイミクが増える頻度)などいろいろな切り口や尺度がある。これも私の想像ではあるが、mixiの上層部は単純にユーザー数を増やしたかったのかと考えている。わかりやすい例で例えると常連Barには中々入りにくいけど、緩そうなCafeや喫茶店には入りやすい。スタバみたいにまずいコーヒーを出しても店には入りやすいから人は入る。
ただmixiが読み違えたのはスタバで隣の客と話をしないのと同様、緩い空間に濃い人間関係を構築することは出来ない。自分たちのプラットホームがSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)であると言うことを忘れたことにあるのではないかと言うことだ。事実、外部コンテンツを使ってmixi内に動線を持って行っているが、それがユーザーシャッフルな要素をもたらすことはNewsを除いて少ない。広告などの短期的収入やタイアップばかりを優先したばかりに中の人が取り残された感が出てきたのだと思う。SNSはメンバーの交流が第一でないと中身もなくなってしまう。SNSの本質はユーザー数ではなく交流の密度という形のない物だ。
ユーザー同士の交流について
SNS全般に言えることであるが適正サイズというのがあるのだと思う。その適正というのは人によっても異なることが問題を複雑化させている。また飲み屋での話で恐縮だが、4人くらいで飲んでいると全員で一つの話題を話すが、10人規模になるとばらけて2つか3つに会話が分離してしまう。それと同様な要素をSNSは孕んでいる。「昔はもっとアットホームで良かった」という意見はそう言うことだ。人数が多くなれば統制も取れなくなるし、相手によって言うことを多少変えないといけないし、少ない人数で話せた内容も話せなくなったりもする。2chでもバカの一つ覚えみたいに「通報する!」とか言っている奴がいて相手するのもうざい。人が増えると言うことはそういうバカが増えると言うことだ。
これはインターネット自体がそういう状態を経験していると思う。というのは昔(2000年前後)はBBS(掲示板)がネットにたくさん点在し、いろいろな書き込みがあった。BBSへのSPAM攻撃などでBBS自体が激減してしまったこともあるが、以前と比べて第三者からブログなどへのコメントが付くことは滅多にない。それは取りも直さずインタラクティブ(双方向)化された物がコモディティ(大衆)化してブロードキャスト(放送)化されたことを表している。昔は発信者の人格が重要視されたが、今はその書かれた内容が自分にとって有用かどうかと言うことが主眼に置かれている。それは検索エンジンの精度が上がったことも起因しているのだろう。
少し話がずれたがmixiもユーザー数が増えてユーザーの個性が把握しづらくなり、「交流する相手」から「閲覧するコンテンツ」になってしまった感はある。そこが停滞の要因だと考えているが、これは多かれ少なかれどこかでぶち当たる問題であろう。
ではFBはそういう問題に当たらないのかと思うわけであるが、FBの特徴として元々知らない第三者と知り合うことがない、と言うことが挙げられる。それは取りも直さず閉鎖性を演出している。多くのユーザーがいるにも関わらず、知り合いの知り合いが「友達かも?」という、友達ちゃうし…とか、友達ってぃゃぃゃそいつは嫌いなんだけど?…勘違い機能くらいしかない。
現にFBでは当たり障りのない事を書いて「いいね!」を押し合う不毛なお付き合いが延々と続いていたり、聞きたくもない自慢を聞かされたりがオチで、実質の用途としては同窓会サイトでしかない(学校という枠だけではないが)。つまりFBは基本的に元から知っている人とやり取りするのが9割5分以上で、知らない人と新たにつながることは非常に少ない。FBは生活において重要だけど、エキサイティングだと感じている人は少ないのではないかと思う。毎日同窓会だと飽きてくるわな。ただ人付き合いとして自分が発信しない限りFBでは存在を認識してもらえないのでなにがしかアクションを起こすわけである。好むと好まざると。
mixi独自の機能やアドバンテージについて
ではmixiにアドバンテージがないのかと言えばないとは思っていない。ただ先に結論を書いてしまうが「今テコ入れしても…」という思いがある。何でもそうであるが基本的には「落ちる前に対策を立てる」に尽きる。落ち出せばそれを持ち上げることは非常に困難な作業になるからだ。
そこに目をつぶって議論するとして、そのアドバンテージに思う機能としてはコミュニティ機能とNews機能だ。
FBのコミュニティ機能は非常に使いにくい。内容も全て時系列でmixiのスレッド化された掲示板はある種データベース的な役割を果たしている。例えばインプレッサラブというコミュニティは神経質で鬱陶しく感じるくらい質問に関しても書く内容に対してどのスレッドに書くか制限されている。ところがFBは内容に如何に関わらず時系列で流すだけで、過去の物は忘却の彼方に忘れ去られて再利用されることはほとんどない。データベースとチャットの違いに近い差がある。FBは正に「今を生きる」という感じか。
あと、比較的後発の機能ではあるがNews機能はいいと感じている。それは同じNewsに関心を持った人同士がやり取りする可能性があるからだ。以前はNewsに対する書き込みで炎上したりもしたことがあったが現在は冷めてしまって炎上することも少ない。そこから考えると炎上と活発な状態は諸刃の剣なのかも知れない。
mixiが終わらないためには?
最終的にmixiが生き残るにはユーザー数よりはその使われ方に依るのではないかと考える。上層部がどういう風に考えているかはわからないがどういう所に目標を置くか、と言うことに尽きる。私はキーになるのは先ほどから言っている「ユーザーシャッフル」と「交流の高密度化」だと思う。
「交流の高密度化」はそこまで説明は必要ないかと思うが、やり取りや書き込みが増えない限り活発な交流にはならない。例えば思い切って「いいね!」機能をなくしてもいいかもしれない。意外に思う人もいるかも知れないが、私自身は「いいね!」機能は交流の弊害だと感じている。例えば「いいね!」10回押されるのと、コメントを1回もらうのとどちらがいいだろうか? 携帯電話でもメール機能が付いて電話をする時間が減った。メールはある意味人間関係を遠くした作用があるが、それと同様に「いいね!」機能もそういう要素を含んでいると考えている。そうすることによって他人のNewsのコメントも「いいね!」ではなくコメントする。そもそも「いいね!」を押されても反応しようがない。でもコメントが付けば返信もする。
「ユーザーシャッフル」はmixiというプラットホームがなければ知り合えなかったであろう人々をつなげると言うことを期待している。それは誰にとってもエキサイティングだ。mixiが復活するにはそれしかないと思っている。FBでは知り合いの知り合いだと知り合いに対する世間体もあるが、Newsやコミュニティで知り合った人とはそういう遠慮はいらない。そういう空間は非常に重要で有意義だし、意見や考え方、趣味などで意気投合すれば住んでいる地域関係なくマイミクになれるわけでそれこそネットのメリットだ。FBもコミュニティ機能は存在するが、検索機能が弱くそれを探したり該当のコミュニティを見つけるのが難しく、mixiの方が一日の長がある。逆を言えばFBもコミュニティ機能をもっとインタラクティブに使えればもっと活発になると思う。
最終的なターゲットはユーザーのマイミク増加率(どれくらいの期間で一人増えるか)というターゲットを社内的に掲げてみたらいいのではと思っている。ユーザー数とマイミクの数は必ずしも比例関係にはないはずだ。個々人の動向をmixiがコントロールすることは出来ないが、「交流のしやすさ」は即ちそういう数字で表れてくるのだと思う。その前段階で書き込み数やログイン時間を増やさせないといけないだろうが、そこら辺は卵が先か鶏が先かと言うことにもなり難しい問題を孕んでいるだろう。しかし、既に沈めてしまったのだから足掻くしかない。
ただ一つ言えることはFBは知り合いや知り合った人と連絡を取るための「名刺ファイル」みたいな役目が大半であり、エキサイティングだと思って使っている人は少ないと思う。FBとて坂を転げ落ちだしたら早いであろう。いや、もう落ちだしているのかも知れない。
Trackback URL